生産者 工藤  憲児 さん

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生産者 工藤 憲児 さん 1978年生まれ。青森県営農大学校を卒業後、会社員を経て2007年に就農。平川市で代々続く米農家の後継として「青天の霹靂」の生産に取り組んでいる。

これまでとは真逆の米作り。
試行錯誤と「農業の基本」で粘り強く栽培

市場デビューから10周年を迎える「青天の霹靂」。工藤さんとのお付き合いはいつごろからですか?
実家の水田で新品種開発のための試験栽培をしており、「青天の霹靂」がまだ「青系187号」と呼ばれていた時期から生育管理などに携わってきました。
青森県にとって米の食味ランキング特A評価の銘柄誕生は悲願でした。10年前、「青天の霹靂」が特A評価を取得した当時はどのような思いでしたか?
やっとブランド米ができたか!というのが一番でしたね。それまでは「青森って米作ってるの?リンゴしかないんじゃないの?」と言われてきて、県産米の認知度はゼロ。打って出るにはまずはブランドを創ろうよ、と取り組んできました。そうして、「特A」という売り文句がようやくできた。ただ、同時に「この美味しさを維持するためにこれからどうするか?」ということも意識させられました。
評価を維持するためにはさまざまな生産努力をされてきたと思います。当時から10年を経た現在までに生産・品質管理にどのような変化や進化がありますか?
これまでの米作りは、収量を上げるために追肥して稲を大きく育てていました。でも「青天の霹靂」はまったく逆の栽培手法なんです。玄米タンパク質含有率が6.4%以下(水分15%換算)という出荷基準があり、これを満たさなければ「青天の霹靂」は名乗れません。稲を大きくすることは、玄米タンパク質の量を増やすこととイコール。基準を満たすためには、これまでと異なる米作りをしなければならず、当時は手探りでしたね。できるだけお米の収量を上げたいのですが、玄米タンパク質含有率を抑えつつ、つまり稲を太らせずに収量をどう確保するかが課題で、3年目くらいまでは、とにかくデータをかき集めました。はじめは、与える肥料を極限まで少なくして、少しずつ増やしていきました。そして、水管理や土づくりの手法も、一つずつトライアンドエラーを重ねて栽培方法を見つけていきました。県が定めた目標収量は、10aあたり9俵。それに対して7俵しか取れない状況が何年も続きましたが、5年目あたりで収量が安定してきました。栽培手法がほぼ確立した現在になってようやく目標超えも見えてきましたね。
この10年のご苦労が伝わります。「青天の霹靂」の生産に関してですが、工藤さんのこだわりや心がけていることを教えてください。
「できるだけリスクを負わない」ということです。現在は農業機械が発達して省力化が進んでいますが、作業を楽にするがためにリスクを負ってしまうこともあります。例えに育苗を挙げると、育苗箱に種を蒔き、そこで育った苗を水田に植え付けるのですが、その際に箱の数は少ない方が作業はしやすい。そのためには一箱あたりにたくさんの種を蒔けばいいのですが、山の木と同じで、苗は密集すると細く育ちます。その細い苗を植えても風に倒れやすく、育ちにくい。初期成育が遅れ、稲が育つための登熟が進まない恐れもある。このため、田植えをする際の作業効率は良くないですが、種まきの量は抑え、できるだけいい苗を育て植えてあげる。その他のあらゆる過程においても、生育を安定させるにはリスクを負わない。それが基本ですね。米作りにはたくさんの人手と時間がかかりますから、誰だって楽はしたい(笑)。基本を守ることはなかなか難しいのです。
手間を惜しまない丁寧な米作りがあって高い品質の「青天の霹靂」が届けられてきたんですね!そんな工藤さんが「青天の霹靂」に関して、印象深かった出来事はありますか?
5~6年前、ちょうど収量が安定し始めたころだと思います。朝ごはんを食べながらテレビを見ていたら、あるプロ野球選手が「『青天の霹靂』がめちゃくちゃうまいです」って言ってくれてたんです。それまでは自分たちから宣伝していた名前が、特に青森にゆかりのない人の口から出たことで「やっと全国に広まったんだな!」と実感でき、すごい嬉しかったのを覚えています。嬉しすぎて、そのテレビ画面を写真に撮りました(笑)
ブランド米は競合が多く、周知までには難しさもありましたね。「青天の霹靂」のブランド力について、どのように成長してきたと感じていますか?
全国的な認知度について、個人的にはまだ高くないと思います。「青天の霹靂」をもっとたくさんの人に知ってもらいたい、他県の人たちからもっと「欲しい」と言ってもらえるようにしたい、という気持ちはありますね。

10年の積み重ねから、
さらなる食味アップへ挑戦!

2023年産の「青天の霹靂」は、猛暑の影響などで初めて特A評価を取得できませんでした。返り咲きを期した10年目の米作りにはどのような意気込みがありますか?
23年産は全国的にみても、米の出来は異常に悪かった。悔しいけど、米を長年作っているとそんな年も必ずあります。これまでは特A評価を毎年いただけてきたので、我々生産者としてはいつも通りの米作りをすれば、また自然ととれるものだと思っています。このあたりは「なんとしても特A奪還!」と意気込んでいる関係者のみなさんと温度差はあるのですが。            
心強いです。今年の新米が楽しみですね!「青天の霹靂」の次の10年に向けて、どのようなことにチャレンジしていきたいですか?
この10年を掛けて出荷基準を守った米を安定して作り続けることはほぼ達成しました。この先は香りや舌ざわりといった一つひとつの食感がどうすればよりよくなるか、あるいは悪くならないかを突き詰めていきたい。基準となる玄米タンパク含有率は6.4%ですが、例えばちょうど6.4%か、あるいは6.0%だったり5.5%かなど、どの数値が一番おいしいかの答えはまだ出せていないんです。10年と言えば長いですが、たった10回しか収穫していない。これから分かることがまだまだ出てくると思っています。もちろん「青天の霹靂」は今でも十分においしいお米ですが、さらなる上を目指して栽培していきたいですね。
おいしさの伸びしろがあるということは期待しかないですね!最後に、消費者の皆さんへメッセージをお願いします!
「青天の霹靂」はとにかく一度は食べてほしい、そんなお米です。スーパーで買うのもいいですが、個人的にはお米屋さん、それも個人で乾燥と精米をしているお店で買った「青天の霹靂」がおすすめです。冷めてもおいしいので、おにぎりやお弁当には最高。おじややお茶漬けにしても、べしゃっとならずに食味がいいです。ぜひ食べてみてください!
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