開発者 神田  伸一郎 さん

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開発者 神田 伸一郎 さん 地方独立行政法人青森県産業技術センター農林総合研究所・水稲品種開発部長(総括研究管理員)。「青天の霹靂」のほか、「はれわたり」など青森県産米の品種開発に携わる。

開発から最速でのデビュー!
「あおもり米を認知してもらえたきっかけに」

「青天の霹靂」のデビューから10年が経ちました。節目を迎えたお気持ちはいかがですか?
「もう10年、早いな」というのが正直なところです。これまで青森のお米で10周年をお祝いするような企画は記憶がないため、「青天の霹靂」が大事にされているという思いが伝わっています。
私は青森県農業試験場藤坂支場という研究所に10年勤務し、平成21年に現在の職場である農林総合研究所に異動してきたのですが、そこで初めて携わった品種でした。「なんとしても特A評価!」という命題があり、今までとは違う使命でした。
青森初の特A米評価を取得した「青天の霹靂」ですが、品種開発で特に印象に残っていることを教えてください。
かねてから良食味米を品種化する機運はあり、当時は「青系172号」という品種が有望視されていました。2年ほど様々な試験品種と比較調査をして選ばれ続けてきた品種でしたが、最後に登場した「青系187号」が、現在の「青天の霹靂」となりました。「青系187号」は食味に優れるのはもちろん、草丈はやや短く、どっしりしていて姿が良いのです。「つがるロマン」に近い草丈だった「青系172号」に比べ、開発者としても好みでした。
最低10年は要するとされる米の品種開発ですが、「青天の霹靂」の場合は、わずか9年で品種化までこぎつけた、最短のケースでした。そのため、種子の生産が追い付かないなど、今まで経験したことがない事態も起こりました。
そうして日の目を見た「青天の霹靂」でしたが、当時はどのようなことを感じていましたか?
青森のお米でここまでプロモーションに労力を割いたことはなく、すごいなと(笑)。どうしても「青森=りんご」のイメージが強く、西日本では青森でお米は作られていないと思われている人も少なくなかった。そこで満を持して、「青天の霹靂」というネーミングやコンセプトをそろえて練り上げ、大々的に送り出してくれた。青森にもおいしいお米があると認知されるきっかけになったと思います。品種改良に取り組んできた立場としては嬉しかったですね。
「青天の霹靂」が多くの皆さんに受け入れられた要因は何だと思いますか?
「青天の霹靂」というネーミングを聞いたときは米の名前というイメージがなく、びっくりしました。開発に携わる私たちでもそうだったので、消費者のみなさんにとってはもっと驚きがあったのではと思います。食品で使うにはタブーとされていた青色をイメージカラーに配したのもインパクトがありました。「これはなんだ?」と買ってみようと思わせるデザインに優れた食味が伴っていたからこそ、皆さんに受け入れられたのではと思います。
また、「新品種が出ました!」だけではなく、品質安定のために、作付地域を限定することに理解を得てもらったり、衛星データを利用した栽培管理アプリ「青天ナビ」が開発されるなど、生産や販売、システム開発、プロモーションなどさまざまな立場の担い手が一体的に連携できたのが、ブランド米として定着した要因だと思っています。
生産者さんの反応で印象深いものはありますか?
実は開発者の立場で生産者の方々とかかわることはあまりないのですが、ある生産者さんが「良く育てるにはどうしても手を掛けないといけない。でも、手をかけた分、によいものができる。『青天の霹靂』は作りがいがある」とお話しされたのを覚えています。

後継品種の開発も底上げ!
「青天の霹靂」が果たした役割

「青天の霹靂」の開発当初から現在まで、ブランド米に求められるものはどのように変化してきたと感じていますか?
各地のブランド米の競争は激化しており、追いつけ追い越せ、さらに上を行こうという感じですね。ただ、お米の味というものは劇的に変わるものではありません。
「青天の霹靂」開発時からの変化については、なんと言っても気象です。高温障害が各地で多発するようになり、開発現場では「高温耐性」がキーワードになっています。特にブランド米にとっては必須の条件になっています。さすがに、「青天の霹靂」の開発当初はこんなに高温化するとは思っていませんでした。
それを踏まえて、「青天の霹靂」の誕生が、以降の品種開発にどのような影響を与えていますか?
あおもり米の品種は、栽培環境の上で「寒さと病気に強い」が前提条件です。「青天の霹靂」は、現在のブランド米に求められる高温耐性の点では足りない。「寒さに強く、高温にも強い」を両立するのは難しいですが、「青天の霹靂」の誕生によって、そうした品種もできています。あおもり米として初めて特A評価を獲得した品種なので、品種を掛け合わせた時の「親」としての能力が高いです。
特A評価を得られるようになり、あおもり米に求められる基準は高くなりました。これまでより高いハードルを作ってくれたのが、「青天の霹靂」が果たした役割でもあります。
そんな「青天の霹靂」ですが、神田さんにとっては一言で表すとどのような存在ですか?
「ターニングポイント」ですね。自分にとっては、キャリアの中でも「青天の霹靂」に携わったのがど真ん中の時期で(笑)。ターニングポイントというのは県産米にとってもです。将来的に「青天の霹靂」の“ビフォーアフター”と呼ばれるような役割を担っていると思います。
最後に、生産者や消費者をはじめとするブランドを支えるみなさんへのメッセージと、これからの「青天の霹靂」にエールをお願いします!
自分の仕事は品種を生み出すまで。「青天の霹靂」ブランドがあるのはさまざまな立場のみなさんが育ててくれた。育ててくれてありがとう、という気持ちです。「青天の霹靂」に向けては「今年、頑張って特Aを取り戻そう!」というのと、「これからはもっといいお米が出てくるから、うかうかするなよ。その中に君の子もいるけどね!」というところでしょうか(笑)。
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